黙っていても、自分から探しにいかなくても。
外にいても、家にいても。
端末の画面からテレビからラジオから。
それでなくても、情報過多(それを遮断するという選択もあります)な時代、誰もがcoronadose・panicdemicに陥りがちですよね。
私自身のことに限って言えば、もともとラジオ寄りの生活であったので、情報はラジオが8割でしょうか。
特に「コロナ禍」が濃厚になってからは、ネットやテレビから得ているものは少し減ったように思います。
(東洋経済オンラインで武漢の様子が連載されていて、それは読みました)
もちろん、全く不安にならなかったわけではないですが、コロナに備えるのはすでに普段のことになっていて、その上で骨折療養という状況に置かれたわけです。
強制的に概念を内側から壊す必要があったため、このことでとても鍛えられました。
新しい生き方、というほどでもないですが「昨日と同じように過ごせなくても、しばらくあれこれ工夫していこう」と、怪我した箇所に応急処置しながら切り替えることができたのです(自分でも信じられません 汗)。
できることを模索することの大切さを、進行形で噛み締めています。
今日もいい日でありますように。