きょうは、ほのぼの。

推しごと、なんてことない日々のこと

八重の桜

斎藤工さんが、来年の大河ドラマ「八重の桜」で演じる神保修理(しゅり)。

その生き様から「悲劇の貴公子」と言われています。

 

さて、今日は大政奉還の少し前のできごとについて。

この時期の会津藩、かなり深刻な財政難だったようです。

松平容保(かたもり)が、京都で長い間「守護職」という役職をやっていて、そのための会津藩からの出費が多額であったんですね。

一説には、会津藩が1年間に得る収入の半分ほどだったとも言われています。

 

現代風に言えば、京都への長期出張とか単身赴任といったイメージでしょうか。

会津に残された留守を守る家族たちも、厳しい暮らしを強いられていたのかも知れません。
ですが、不満があっても「京都から帰ってくればいいのに」と簡単には口に出来なかったようです。

臣下としてそういったことを申し出るのは難しい時代でもありました。

 

ところで、昨日の記事で「神保修理が長崎にいた」と書きましたが、これは松平容保が修理の優れた国際感覚を高く評価して「長崎に視察に行ってきなさい」と彼を派遣したため。それで、長崎にいたのです。

 

こういうちょっとしたエピソードを覚えておくと、来年の大河ドラマを観るときに、ほんの少し楽しみが増すかも知れません。